JAMBASE

「JAM BASE」で生まれる学習のイノベーション──未来を担う若者たちにいま必要な学びの形とは

2023.10.31

大阪最後の一等地「うめきた」で2024年9月「グラングリーン大阪」が先行まちびらきを迎える。そこで大学の研究機関や、さまざまな規模の企業が入居し、イノベーションの集積地になることを目指しているのが「JAM BASE(ジャムベース)」だ。

この名称には音楽の即興演奏“JAMMING” のように、本施設で巻き起こる独自の共創(コ・クリエーション)が、楽しくエキサイティングなものとなるようにという意味合いが込められている。本稿でもジャムセッションのような異業種対談が実現した。一見異なる取り組みをしながら、それぞれ大阪という地に特別な想いを抱き、教育によって新たなイノベーションを起こそうとしている。そんな2人が考える「学ぶこと」の意義とは、果たして。


ゴールドマン・サックス出身の元証券マンと、大阪を拠点に活動するお笑い芸人。一見畑違いの2人だが、「より多くの若者に学びの機会を提供することをライフワークとする」という共通項をもつ。

マネーリテラシーとリスクマネジメントを学ぶ学校「アイデンティティ・アカデミー」を運営する森山博暢(以下、森山)は、「金融のリスクマネジメント思考を駆使してこれからの意思決定をデザインする学校」というミッションを掲げる。これまで本校でマネーリテラシーを学んできた学生は、大学生を中心にのべ150名以上。プログラムはマクロ経済、企業分析、起業、さらには企業のリアルな経営課題を解決する事業アイデアの提案まで幅広い。大学生に向けたプログラムは授業料無料だ。

一方、漫才師・お笑いタレントとしてはもちろん、仏教・日本史マニアとしても第一線で活躍する笑い飯・哲夫(以下、哲夫)は、小中学生に向けた塾の経営者という顔も併せもつ。「寺子屋こやや」は、低価格で学びの場を提供する試みだ。二人は、未来を担う若者たちに必要なのは「学びの場」だと口をそろえる。

哲夫は塾経営について「芸人が真面目なことしたら笑いにくくなるから、ほんまは禁忌事項でしょうね」と言いながら、その意図を語る。

「僕は学生時代に塾講師や家庭教師をしていたこともあって、教員になりたかった。自分が面白すぎるから『芸人にならなアカンな』と思ってやめたのですが(笑)。でも、教育に対する野心はずっとありました。いまは一部の富裕層に向けた教育ばかりが充実していて、それはおかしいやろと感じています。上と下の差を広げるのではなく、子どもたち全体が賢くなっていくことが大事なのではないでしょうか。そのためにはいろんな世帯に向けた場所があってしかるべきだと思い、『寺子屋こやや』をスタートさせました」(哲夫)

森山は、今月からプレプロジェクトとして「うめきたアイデンティティ・アカデミー」を実施している。ゴールドマン・サックスで20年にわたってトレーディング業務に従事してきた森山がこうした教育に取り組むようになった背景には、自身の経験があった。

「会社で働いていた頃、入社してくる若い子が優秀なのになぜかすぐに不幸せそうになる様子を見てきました。いまは人生100年時代といわれて働く時間が長くなると同時に、若くして活躍する人の存在も目に入りやすい。さまざまな情報が飛び交う中で不安を抱き、“正解”の生き方を探してもがいている人は増えています。でもそこには受験勉強と違って答えはないし、人の物差しをあてがって意思決定をしても意味がない。一方、僕がやっていたトレーディングの仕事は決められた時間の中で多くの情報から必要なものを取捨選択し、最終的に腹をくくって決断するものです。この意思決定のプロセスは生き方にも応用できると気づき、社会の共通言語であるお金を通してそうしたことを教える学校をつくりたいと考えました」(森山)

近年、若者が理想とする働き方には変化が起きている。従来の大手企業志向は減退し、「主にベンチャー企業志望」とする若者が4割弱に達した。高校生のなりたい職業ランキングの第2位に「起業」がランクインするなど、起業やスタートアップに興味をもつ人の割合が増えている。

だが他方では教育格差の拡大も進む。子どものうち7人に1人が貧困状態にあり、経済的な理由で塾や習い事を諦めた家庭は全体の7割にのぼるというデータも存在する。こうした社会課題に対して彼らの取り組みは、教育の幅をより広げるだけではなく、社会で活躍しイノベーティブな事業を創出するきっかけになっていく可能性すら秘めているのではないだろうか。

いま本当に必要なのは“実践”を通した学び。当事者意識の育み方


Identity Academy代表理事 森山 博暢

Identity Academy代表理事 森山 博暢

それぞれの形で“若者の教育”に向き合う2人だが、これからの日本を担う次世代にとって本当に必要な学びとはどういったものなのか。森山はこう分析する。

「もっと実践の“練習試合”が必要なのではないでしょうか。たとえばお金に関して知識だけ教えられても子どもはなかなか当事者意識を持てません。マネーリテラシーとよくいいますが、リテラシーとは知識のことではなく、実践においてどう判断ができるか。実践的な学びがなければ、勉強はできても学んだことを社会に実装するリテラシーが低くて何もできない状態になってしまいます」(森山)

アイデンティティ・アカデミーでは、受講生をチーム分けして一定の金額を渡し、決められた期間で運用する課題が行われる。利益が出れば、決められた範囲で学生たちが自由に使うことができる。まさに実践の練習試合だ。

「小さい子でも、普段買っているお菓子がなぜこの価格なのか、その背景にはどんな仕組みがあるのか、身近な実例を徹底的に紐解いていけば物事の見方が変わります。そうした楽しさを早いうちに学ぶ機会を持つことが重要だと考えています」(森山)

学校で教えられることが社会に出てなんの役に立つのか──そんな疑問はいつの時代も存在する。哲夫も森山も、学生時代は「学ぶことの面白さはわからなかった」という。

「頭ごなしに公式を教えられて『なんでこんなん覚えなあかんのやろ?』と思っていました。でも実は公式には公式の意味があって、あのとき覚えておいてよかったと思えるようになったのは大人になってから。それは自分が成長して社会を知って、学んだこととそれらを関連付けて理解できるようになったからだと思います」(哲夫)

「働き始めてから、学生時代にはわからなかった勉強の面白さに気づきました。子どもは『勉強しろ』と言ってもやらないものです。ですが、無味乾燥に感じる算数や物理が実は社会の仕組みとつながっていて生活に密着していることを知ると、非常に面白く感じられてくる。そのダイナミズムを若者に教えてあげたいと思っています」(森山)

まざりあい、多くの人と接することで起こる新たなイノベーション


芸人、学習塾「寺子屋こやや」オーナー 笑い飯・哲夫

芸人、学習塾「寺子屋こやや」オーナー 笑い飯・哲夫

グラングリーン大阪およびJAM BASEという大阪におけるイノベーションの新たな拠点について、自身も18歳まで関西で過ごした森山は「“おもろい”やつが集まる場所」になることを期待しているという。

「関西人は関西に強いアイデンティティを持つ人が多く、そうした人が集まるコミュニティには大きなエネルギーがあります。いまはイノベーションや起業という言葉が先行しがちですが、本来は『おもろいことがしたい』『社会にインパクトがあることをしたい』というエネルギーの先に起業があるべきです。おもろくてやる気のある人が世代や背景を問わず集まって熱量を高めあうコミュニティができれば、自然とそこから何かが生まれていく。大阪はそういうことがいちばんできる街だと思っています。僕自身、少しでもそのお手伝いができればと」(森山)

JAM BASEの名には「まざりあう」という意味が込められている。さまざまな価値観やバックグラウンドを持つ人々が交錯することの重要性を、哲夫はもうひとつのライフワークとして探求する仏教的世界観を交えてこう語る。

「いまは『他人は他人』と一人ひとりが個として生きている感覚が強いですが、もっとグチャ〜ッとミックスできたらいいですよね。本来はひとつの全体があり、たまたま自分が自分として現れているだけで、みんなもともとは一緒のものなんだ…と仏教では考えます。そういうふうに社会をとらえることが大事なんじゃないでしょうか。より多くの人と接して、さまざまな意見に触れることは人間が成長する上でとても重要だと思います」(哲夫)

まざりあい、高めあうことで大きなエネルギーが生まれ、新たなイノベーションが起きる──大阪の地にそんな未来が訪れようとしている。

JAM BASE
https://jam-base.com/jp/

森山 博暢(もりやま・ひろのぶ)◎Identity Academy代表理事。1974年、兵庫県生まれ。1999年東京大学大学院工学系研究科修了後、ゴールドマンサックス入社。クオンツアナリストに従事したのち、20年にわたり債券トレーディング業務に従事。2015年より金利トレーディング部長を務め、20年7月identity academy設立。

笑い飯・哲夫(わらいめし・てつお)◎芸人、学習塾「寺子屋こやや」オーナー。1974年、奈良県生まれ。三輪山の参道のそうめん屋に生まれ育つ。関西学院大学哲学科卒業。2000年に西田幸治と漫才コンビ「笑い飯」結成。NHK上方漫才コンテスト最優秀賞(2003)など受賞多数。仏教にも造詣が深く、著書に『えてこでもわかる笑い飯哲夫訳般若心経』(ワニブックス)など。

text by Misaki Saitoh | photographs by Ryo Takada | edited by Mao Takeda